西山寺のこと

縁起

医王山西山寺は、天長二(825)年、弘法大師によって開かれたとされる古刹です。白河天皇の勅願寺になったことにもみられるように、全国より多くの信仰を集めました。一時は広い境内地に十二坊が甍を連ね、常に50名ほどの僧侶が修行するほどの隆盛を誇ったそうです。戦国時代にあっては今川氏の庇護を受けますが、今川氏の没落後、この地を巡る武田氏と徳川氏との戦火により灰燼に帰しました。

江戸時代となり、幕府より寺領二十石を安堵され、徐々に再興を図ります。かつて十二坊あったうちの玉泉坊をもって西山寺と称し、残りの十一坊を廃止します。廃された坊の一つ、地蔵坊伝来の薬師如来(県指定文化財・藤原時代作)を本尊としてお祀りすることにしました。本尊を祀るためにほどなく建てられた薬師堂(県指定文化財・1636年建立)は桃山時代の形式を伝える優美なもので、現在もその姿をとどめています。

境内案内

客殿(護摩堂)

客殿と言う通り、以前はお客様を接待する場所でした。

現在は、宗祖弘法大師をはじめとした様々な仏様がお祀りされ、毎月8日の薬師護摩をはじめ、色々な法要を執り行う場所となっています。

斎場

お寺で葬儀、回忌法要をされたいとのご要望にお応えするべく平成十六年に完成いたしました。五十名くらいまでの法要に対応することが出来ます。式場に隣接して大広間もございますので、ごゆっくりしていただけます。

山門

近年、改修された山門。山門は聖と俗との結界の役割を果たしています。上方の欄間には中山伊平次(左甚五郎の高弟とも)の作とされる龍の彫物がございます。

仁王門

金剛力士像が安置されている色鮮やかな仁王門は薬師堂参道石段入口にございます。ここの金剛力士像は「ドウモコウモと仁王様」の伝説が語り継がれています。

薬師堂

客殿、斎場より少し上ったところに建つ薬師堂は周囲の景色とも相まって趣のある姿です。静岡県指定文化財です。詳細は”文化財と仏様”に記載。

観音堂

現代のように交通が発達していなかった時代、四国八十八か所や西国三十三か所霊場を巡拝するのは簡単ではありませんでした。そこで、身近な地域でお参りできる「写し霊場」というものがもうけられました。さらには一つのお堂に全ての仏様が集合して、一度にお参りできるものも作られました。この観音堂にもそのような頃に熱心な檀信徒の方が寄進して奉納した三十三体の観音様がおいでになります。

鯖大師堂

宗祖弘法大師が鯖を手に持つ姿で、ありとあらゆる生き物が、たがいに生かし生かされる存在であることをお示しくださっています。船主さんたちに熱心な方がいらっしゃることもあり、毎朝、大漁祈願、海上安全を祈念しております。
他にも大日堂や稲荷社、弁天堂などがございます。

西山寺の伝説

「ドウモコウモと仁王様」

むかしむかし。西山寺のあたりで、力持ちで大いばりしていた仁王がいました。いたずらばかりしていた仁王は「自分よりも強いものはこの世にいるのか」と昔の西山寺のお坊様に聞きました。すると、お坊様は中国の唐の国にドウモコウモという力持ちがいると言いました。自分より強い者はいないと信じてる仁王ですから、信じられずに唐の国へ力比べに行きました。

ドウモコウモの家に着くと、本人は不在で、出てきた大女に家の中に通されました。あたたかい静岡からやって来た仁王は、雪が降る唐の国のあまりの寒さに震えていました。それを見た大女が火鉢を片手で軽々と持ってきてくれました。その火鉢を近づけようとした仁王ですが、ぴくりとも動きません。「女でこれではドウモコウモはどんなに力持ちかわからない。こんなところにいると、ドウモコウモに殺されてしまう」と家を抜け出し、一目散に逃げ出しました。海を越え山を越え必死で西山寺まで帰ってきましたが、ドウモコウモはすぐそこまで追いかけてきました。 困った仁王が薬師様に助けを請うと、「池のさるすべりの木にぶらさがっていなさい」と言われます。怖さに震えながら薬師様の言うとおりにしていると、池に映った仁王を見つけたドウモコウモは本物と間違えて池の中にドボン。そこへすかさず薬師様が大きなふたをしました。ドウモコウモは、大暴れをしますが、ふたはびくともしません。ドウモコウモは、「こいつは、ドウモコウモならぬ」とうなって、ぶくぶく沈んでしまいました。

その後、お薬師様の慈悲に感謝した仁王とお薬師様の智慧に感服したドウモコウモは仲良くお薬師様の守護者になったそうです。仁王がぶらさがったというさるすべりの木は、今でも、池のほとりできれいな花を咲かせます。

「西山寺の龍」

萩間に住む中山伊平次は、江戸に出て彫り物大工を習いましたが、その腕を左甚五郎などの仲間にねたまれて、寛文2(1662)年故郷に帰ります。毎朝、相良の海岸で、日の出の立つ波のありさまを見て、ひたすら心を込めて三年がかりで彫ったのが、この龍だと言われています。

あまりの出来の良さ故、龍が命を持ち暴れまわったそうで、懲らしめるために目に釘を打たれたともいわれています。

現在は目のところに釘は見当たりません。あるとき、近在の目の不自由な方の夢枕にここの龍が現れたそうです。そして「自分の目の釘を抜いてくれたら、お前の目が見えるようにしてやろう」と言ったそうです。その方がこの寺に来て、その話を聞いた住職が龍の目から釘を抜いたところ、ほどなくして、その方の目が見えるようになったそうです。

「鯖大師」

四国別格札所の八坂寺さんが鯖大師として最も有名かと想います。そこにはこんなお大師様の伝説が残っています。

お大師様が四国を巡錫された折、この地を訪れました。 ある朝、通り掛かった馬子に積み荷の塩鯖を分けてくれと仰いますが、口汚くののしられ、断られます。馬子が馬引坂まできた時、 馬が急に苦しみだし、先ほどの坊様への非礼のせいだと気づいた馬子は鯖を持っておわびし、馬の病気をなおしてくれるように頼みました。 お大師様がお加持水を与えると馬はたちまち元気になり、さらに塩鯖をお加持すると生きかえって泳いでいきました。 それを目にして仏心をおこした馬子は、この地に庵をたて古今来世まで人々の救いの霊場としたそうです。

八坂寺さんでは鯖を三年断ってご祈念すると子宝成就、 病気平癒はじめ願いごとがかなえられるそうです。

鯖大師さんが何故西山寺に伝来しているのか定かではありません。西山寺の鯖大師さんには鯖断ちをしていただく必要はございません。自分が、鯖、馬あらゆるたくさんの命によって生かされていることに感謝して手を合わせ、その命を生かすためにも自分がしっかり生きることを誓っていただければお大師様のご加護が得られるはずです。